少年野球一家のコロナ療養記③ 療養

2022年7月に我が家もコロナに感染しました。

本日の記事は以下の記事の続きです。今回は三回目です。

最初に妻が感染し、その後に長男・次男も感染。この後の生活はどうなったのかというお話です。

少年野球大会欠場

少年野球一家にとって、7月は大会が目白押しの季節です。

次男が所属する少年野球チームにおいても、低学年側で一つ、高学年側で一つ大会が控えていました。

低学年側の大会は妻と長男が感染した時点で、次男の出場が絶望的で参加ができないということを連絡させて頂きました。

一方、その翌週に行われる大会は、次男が元気なつもりで出場する予定で考えていましたが、次男の発症に伴いこちらの大会も断念せざるを得なくなってしまいました。

励ましの言葉が胸に響く

次男の発症が確定し、少年野球チームの監督、代表、そして保護者の皆様へ連絡を入れます。

特に6年生にとっては、最後の大会を1つ辞退するという結果になってしまいます。申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

しかし、6年生の保護者の皆さんからは、療養に向けた励ましの言葉を頂くばかりでとても胸に熱いものを感じました。

「気にしないでくださいね。まずは療養に専念してください。」

皆さんからこうした言葉を頂けたことは、本当にありがたく感じています。

逆隔離生活が始まる

次男が発症した後くらいには、妻の熱も下がり体調も回復していました。

そして、妻には申し訳ありませんでしたが、ここからは私が発症しないように長男、次男の看病は妻がみる形となります。

私は自宅療養期間が終わるまでは、二階で生活をするようになり、食事は階段の踊り場で受け取り、入浴の時だけ一階に降りるという生活が始まります。

いわば、逆隔離生活です。

幸い、私の仕事はリモートで行える職種であったことから、業務に支障をきたすことはありませんでした。

しかし、ずっと自宅で生活するというのは、かなり苦痛を強いられる日々であったことは間違いありません。

運動ができない辛さ

普段であれば、週に一、二回はジムへ行き、週末は野球の手伝いです。

それなりにアクティブに生活を過ごしていた日常が、ずっと自宅で生活をするという暮らしに変わり、とても窮屈さを感じていました。

動画を見つつ軽い運動を

せめて最低限の運動はしようと、Youtubeでエクササイズを動画を探して、同じ動きをして体を動かしていました。

特にMarina Takewakiさんのエクササイズ動画には、非常に助けられ、コロナ療養中の支えになっていました。

10分程度からできるエクササイズもあることから、普段の家トレでも十分活用できる動画が揃っています。

千葉県高校野球を応援

丁度、我が家が発症した期間中に、千葉県高校野球の地方大会が開催されていました。

準決勝、決勝あたりの時期だったことから、ほぼ一日中リアルタイムで見ていたように思えます。

勉強に集中

運動ができないのなら頭を使おうと、試験の近づいていた中小企業診断士の勉強に時間を充てることにしました。

私もだいぶオジサンになり、集中力が続かないことに悲しさを覚えましたが、休憩を挟みつつ、一日3〜4時間くらいは勉強していました。

この甲斐あってか、二教科だけに専念して受験し一次試験は、無事に両方とも科目合格を獲得することができています。

不幸中の幸いかもしれません。

食事やお風呂について

さて、この療養期間、どうやって洗濯や食事、お風呂に入っていたのかについても触れておきたいと思います。

食事について

食事については、一階にいる妻に作ってもらい、階段の踊り場まで持ってきてもらうようにしていました。

食べ終えた食器も踊り場に置いておき、時間が来たら妻に下げてもらうということを繰り返していました。

お風呂と洗濯

続いて、お風呂と洗濯です。

我が家は一階にお風呂があるため、入浴をしたい時には一階まで降りなければなりません。

そのため、子供達が寝た後で一度お風呂の水を抜き、妻に掃除と消毒をしてもらってから入るという形でした。

洗濯物も一階に降りてきた際に持参し、妻に洗濯をお願いするという感じです。

何から何まで妻に頼りっぱなしだったので、本当に感謝です。

そして回復へ

こうした感じで、残りの療養期間を過ごしていきました。

長男と次男は発症から二日程度は熱に苦しんでいましたが、三日目以降は熱も下がり回復に向かっていきました。

一階と二階の隔離生活が功を奏したのか、なんとか私は発症せずに済んでいます。

次回は、コロナ療養記最終回として、回復後から療養明けすぐについてをまとめていくつもりです。