少年野球一家のコロナ療養記① 発症

2022年7月に我が家もコロナに感染しました。

長男は中学野球のクラブチーム、次男は人数がギリギリの少年野球チームに所属しており、感染における影響というのはとても大きいものでした。

通常コロナに感染すると、二週間程度は自宅療養が必要です。

この二週間は、過去数年の中でも大変な期間であったことから、少しずつでも記事に残していきたいと思います。

きっかけは妻の発症

我が家のコロナ発症は妻の発熱がきっかけでした。

7月の三連休、他の少年野球チームと合同での低学年大会に向けて練習を続けてきた最終日のことです。

帰宅後に急に体調が悪くなったようで、その日はすぐにベッドへ向かっていました。

翌日夕方に発熱

翌日19日夕方のことです。

次の日になっても妻の体調がすぐれず、夕方に体温計で熱を測ると39℃近い熱があります。

これはマズイとなり、中学のクラブチームからの指示で購入していた抗原検査キットの封を開けることにしました。

検査を開始してしばらく待つと、結果は陽性。

後々わかったことですが、抗原検査キットはPCR検査よりも精度は低いようですが、抗原検査で陽性となったものがPCR検査で陰性になることは低いようです。

これはコロナに感染したのだろうと判断し、まずは妻を別室で隔離し、子供達と今後について家族で話し合いました。

大会に出場できない・・・

長男と次男をダイニングテーブルの椅子に腰掛けてもらい、大切な話があると伝えました。

「検査をしてわかったのだけれど、お母さんがコロナに感染してしまいました。」

これまでの私と妻のやりとりを間接的に見ていたこともあり、薄々勘づいていたのでしょう。やっぱりそうかという感じで私の顔を見ていました。

そして、今後のことを二人に伝えます。

「お母さんがコロナになったということは、お父さんと、(長男の名前)、(次男の名前)、3人とも濃厚接触者になってしまいます。

コロナにかかった人も、濃厚接触者になった人もしばらくの間は自宅療養をしなければならなくてなります。

だから、本当に残念だけれど、来週に予定していた大会には出れない・・・。

二人とも大会に向けてすごく頑張っていたことは、お父さんは良くわかっている。

こんな形で試合に出れなくなってしまうことは残念だけれど、わかってほしい。」

そう二人に告げました。

二人とも頭では納得はしてくれたようでしたが、気持ちの整理が追いつかないというような表情をしばらくしていました。

特に次男は四年生で、今年が最後の低学年大会に出場予定だったことから、その辛さを思うと胸が痛くなります。

しかし、次男から印象的な一言が発せられました。今でもその言葉は忘れられません。

「試合に出れなくても大丈夫だよ。命が一番大切だから。野球は元気になればまたできるよ。」

この言葉に私自身も胸を打たれました。長男もそうだねという感じで頷いています。

「わかってくれてありがとう。それじゃあ、他の野球の人たちに迷惑をかけてしまっているから、お父さんから伝えておくよ。」

そう伝えた後、家の中の少し離れた別の部屋へ移動し、野球関係者の皆さんへ、現在の状況を伝えました。

野球関係者の皆さんへ連絡

まずは、自チームの監督、代表へ連絡を入れた後、低学年大会の合同参加を快諾して下さった合同チームの代表の方へ連絡を取ります。

今回の件で、最もご迷惑をおかけしてしまっていることから、早く連絡を取りたいという思いで電話をかけます。

相手チームの代表の方も、コロナ感染は仕方のないことだからと事情を察してくださり、誠実に対応してくださりました。

その後の調査の結果、合同チームの部員や他の関係者の方で感染した方はいなかったことは、不幸中の幸いでした。

中学野球関係の皆様へ連絡

続いて長男のチームの事務局の方への連絡です。

こちらも事情は察してくださり、まずは安静にしてくださいという連絡を頂きました。

こちらも、我が家起因でチームメイトに感染するということはなかったようでした。

ようやく一息、そして療養へ

一通りの連絡を終えると、ここからは本格的に療養生活がスタートです。

妻が休んでいることから、当面の間、家事は全て私がすることになります。

恥ずかしながら、普段の家事を妻に任せっぱなしになっており、私の家事レベルはスライムレベルの実力です。

そのため、ここからは何をするにもドタバタの生活が始まります。

この時点では子供達はとても元気で、普段通りの生活ができていました。

しかし、ここから数日の間で変化が起きていきます。

二日目以降の続きは、また次回に書いていきたいと思います。