少年野球の卒部式を迎えて
3月13日(日)、長男が少年野球の卒部を迎えました。
小学校1年生の終わりから入部し、5年という歳月を過ごした思い出は数えきれないほどにあります。
長男へおめでとうと伝えると共に、長男と過ごした少年野球時代を振り返りたいと思います。
ついていくのやっとだった低学年
長男は他の子と比べて、ずば抜けて運動ができた訳ではありませんでした。
言ってみれば中の上、何とかついていけるといったレベルでした。
更には引っ込み思案なところがあり、周りの先輩部員に背中を押されて一緒についていく姿が印象的だった記憶があります。
友遊ボールでのスライディングキャッチ
低学年の頃で思い出深いのは、二年生の時の友遊ボール(ゴムボールを使った簡易野球)大会でした。
レフトを任された長男が、一生懸命ボールを追いかけ、何とかキャッチしてやろうとスライディングをしてフライアウトを取ったプレーは、今でも覚えています。
まだ野球を始めて1年経たない中でフライを取れるようになったことが、親としても嬉しかったのを記憶しています。
「お父さんの子供の頃は、一年やってもフライが取れなかったんだぞ。」
と言って、笑いあいました。
三年生秋から軟式野球が本格化
基本的に私の住む地域では、秋頃の大会を最後に代が入れ替わります。
チーム事情で上級生が少なく、三年生の長男も参加しないと大会に出れないといった状況でした。
ここからいよいよ、長男に対しても負荷がかかってきます。
途中交代で自信喪失…
当時サードを任されていた長男ですが、ファーストでアウトにするのがやっとで監督・コーチの言っていることも見ている感じでは全然出来ていないという状況でした。
ある大会での出来事です。
その日のプレーが明らかに散漫だった長男が、途中交代で外されてしまい、ベンチに戻されます。
その状況を見て私も感情的になって、
「何で出来ないんだ!」
と声を荒げてしまい、その後に悲しい顔をしていた長男の顔は今でも忘れられません。
今思うと、これは一番やってはいけない接し方だったでした。私自身もここから反省して、コーチングを勉強し始めました。
話を長男に戻しますが、この頃が長男にとって、一番苦しい時期だったと思います。
それでもめげずに、日々の練習や試合を乗り越えていってくれました。
それでもやめたいとは口にしなかった
後日談になりますが、六年生の夏休みに長男が書いた作文を見る機会がありました。
つらいことを乗り越えた、ということを書いた内容でしたが、その中で当時のことを書いている箇所がありました。
当時、長男の中では何度も野球をやめたいと思っていたようでした。それだけ彼にとって苦しい時期だったのだと思います。
しかし、私の記憶の中で、長男の口から野球をやめたいと口にしたことは一度もありません。
今こうして思えば、当時を乗り越えたからこそ今の長男がいるのだと思います。
初先発で13失点
それからしばらく経ち、四年生の夏には低学年大会に先発で出場する機会がありました。
これが長男の投手としての初出場です。
結果的には敗戦となる試合ですが、私が叶えられなかった、ピッチャーで試合に出るという夢を、長男が代わりに叶えてくれた一戦でした。
試合を見ながら胸が熱くなったことを覚えています。
今読み返すと恥ずかしいですが、「25年越しのバトンタッチ」という記事で当時の様子をまとめています。
初めての銅メダル
そして時は経ち、今度は5年生の秋のことです。
この年はコロナの感染拡大し、数々の大会が中止となってしまった一年でした。
少ない大会数の中で一つ、銅メダルをかけた大会に挑むことになります。
リリーフ当番と決勝打
私自身は当日の試合は見れていないのですが、スコアブック上では
- 先制と決勝のツーベース二安打
- 二回中継ぎとして無失点
という、非常に調子の良い結果だったようでした。
そして、ついに自分の手で銅メダルを手にすることができました。
いつかは自分の手で
長男が3年生の頃、最上級生のチームが、強いチームで何度もメダルを獲得していました。
その時に長男が言っていたのは、
「いつか僕もメダルを取りたい!」
ということでした。
その夢が、色は違えど2年後に叶えることができました。
「やっと、自分でメダルを取れたよ。」
そう言って、私にメダルを見せてくれて、写真を撮ったのを覚えています。
最上級生としての一年
いよいよ6年生になり、最上級生としての一年が始まります。
もう一度、今度は自分達の代でメダルを取るという目標を掲げ、大会に挑んでいきます。実りがあったのは市内の夏季大会でした。
最終回までもつれこむ接戦を制す
リリーフとして登板した長男は、一点差のリードの中、ツーアウト満塁まで追い込まれます。
ですが、何とか粘りの投球をみせ、三位決定を確定させることができました。
この夏の大会が自分達の代で手にした初めてのメダルでした。
成長がみれた選抜練習
夏休みの事です。
6年生を対象とした選抜練習が行われました。
最終的に長男は選抜メンバーに選ばれることはありませんでしたが、違うチームの子と一緒に練習をすることで、少しずつ自分を出せるようになってきました。
引っ込み思案な長男が、自らの考えで声を出せるようになったきっかけとなった経験でした。
投手としての飛躍
最後の大会の初戦です。
相手チームは近隣市の優勝チームで、選抜にも選ばれた投手との投げ合いでした。
この日の長男は調子が良く、緩急を使った投球で、相手打線を翻弄します。
リリーフが崩れて試合には敗戦しますが、規定回数の四回を投げた段階で、2-3で勝利している状況にまで持ち込むことができました。
この日は中学硬式野球チームの方が見学に来てくださっていた日で、初めて声をかけていただいた日でした。
選抜にも選ばれなかった長男にも目をかけてくださり、中学硬式でやれるという可能性を感じて下さったのは、感謝の言葉しかありませんでした。
初完封を経験
最後の大会の初戦で敗戦となるものの、敗者ルートのトーナメントを勝ち進んでいきます。
その二戦目、圧巻の投球を見せてくれました。
この日も近隣市選抜に選ばれた投手との投げ合いでしたが、見事に制します。
打線も調子が良く、四回無失点のコールド勝ちで試合を締めくくりました。
長男初めての完封勝利です。
この時嬉しくて書いた記事が、
「完封勝利という名のプレゼント」になります。
これが私にとっての2021年のクリスマスプレゼントになりました。
硬式挑戦を決める
全ての大会を終え、中学での進路を決める時期となりました。
いくつか中学硬式野球チームを見学・体験させて頂き、本人の口から、
「ここで野球をやりたい。」
という言葉を本人が決めたことから、私と妻もその応援をすることにしました。
挑戦する意志を示してくれたことに嬉しく思います。
長男がどこまでレベルの高い世界で戦えるかはわかりません。ですが挑戦しなければ可能性すらみえません。
ちなみに、我が家の中学硬式を選んだ理由は、
「軟式か?硬式か?我が家の解」にまとめました。
自分で考えて野球に挑んでほしい
中学に入ってからは、もう私が手取り足取り教えることも少なくなるでしょう。
素晴らしい指導者の下で、高い専門性を学ぶということは、ここから先、重要な経験になると私は考えています。
教えられた内容を自分で噛み砕き、成長へ繋げるというプロセスは、大人になっても必要になってきます。
将来野球を続ける続けないに関わらず、長男には身につけてほしいスキルです。
そしてこれからも、やるからには全力を尽くしてほしい。
その結果がベンチであれ、レギュラーであれ、本人がやりきったという思いが残っていれば、私は満足です。
そうした期待を込めて、中学へ送り出したいと思います。
まずは卒部でおめでとう。
そしてこれからの中学硬式野球も頑張っていこう!
常にチャレンジャーであれ!